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十二所 (鎌倉市) : ウィキペディア日本語版
十二所 (鎌倉市)[じゅうにそ]
十二所(じゅうにそ)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。鎌倉市の北東端に位置し、横浜市金沢区と接する。
地名の由来は、天保9年(1838年)まで光触寺境内にあった鎮守熊野三山の「熊野十二所権現社」(現在の十二所神社)に由来する。新編鎌倉志では「民家が十二軒あったことによる」と記載されているが、これは俗説である。
初見は文和4年(1355年)9月の『頬焼阿弥陀縁起奥書』に「十二所道場」と記載されている。この道場は光触寺を指している。熊野社は「大倉の熊野堂」と称し、鎌倉における熊野信仰の拠点であった。
上杉禅秀の乱では鎌倉公方足利持氏岩殿寺から十二所を経て小坪、由比ヶ浜佐助へと逃走したという記録が残っている。
天正19年(1591年)の「徳川家康寄進状」では十二所において建長寺東慶寺両寺の寺領が寄進されている。幕末には五十八貫余の寺領があった。新編相模国風土記稿において二階堂村には民戸26戸と記載され、明治3年(1870年)には家数42戸、人別198人とされている。
==施設==

===行政施設===

*鎌倉霊園

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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